中世墳墓の研究はすでに全国的視点でその画期が提唱されているが、今回の集成研究を行うことで画期の検証だけでなく、中央から地方への広がりの方向や速度を認識できると考える。それは宗教的な要因が強いのか、あるいはその背後に政治的要素を探る必要があるかを端的に物語るものと推測する。具体的には屋敷墓がその代表例であり、畿内で11世紀に発生し、少なくとも北部九州へは12世紀後半にならないと入らない。逆にその後に出現する石組墓は13世紀後半以降急速に全国へ展開する。この速度の違いは何に起因するのかを考察することで、上記の課題の一部は明らかになるであろう。 なお本年度は全国の関係する研究者の掘り起こしと研究に対する協力を要請し、研究の趣旨を説明することを中心に活動した。幸いにも全国の地域で賛同者を得ることができ、今年度は東北地方と四国地方で資料集成を作成することからはじめ、来年度は他地域の集成を行うほか、東北と四国については研究会を実施して各地の様相について掌握する計画である。 また全国を回ることで問題点も見出されることとなった。それは資料の消滅という事実である。特に墳墓に関する資料で中世後期から近世にかかる、いわゆる無縁仏と称される石造板碑など一群の資料が、墓地整理のなかで廃棄され、しかも粉砕されているという事実をつかんだ。これらの資料は中世の人々か近世社会へ向かって自立発展してゆく姿を直接間接に語り得る重要な証拠となると考えているだけに、憂うべき事態であると考える。これからの研究を通じて、各方面に訴えていきたい。
|