本年度は、明治初年の学制発布前後における「作文」がどのようなものであったか、その全体を把握するために、東京大学・国会図書館・国文学研究資料館・京都府立総合資料館を中心に調査収集を行ない、海外では、フランス東洋語図書館にパリ万国博覧会に文部省が出品した当時の作文資料があることから、その調査収集にあたった。また、原本の購入も積極的に行った。収集方法は、マイクロフィッシュ複写、デジタルカメラによる撮影、A3対応高精細スキャナによる読み込みを中心とし、デジタルカメラおよびスキャナによるデータはもとより、デジタルカメラの低廉化によって生じた予算の余裕を利用して購入したマイクロフィッシュスキャナによってマイクロフィッシュのデジタル化も可能となり、すべての画像データは電子化されている。 本年度収集した資料の中で注目すべきは、明治十年に創刊された『学庭拾芳録』という作文雑誌であろう。この雑誌は、同年発行の『穎才新誌』と比較することで、当時の小学校における作文教育がどのようなものであったのか、また漢詩文の知識がどのように要求されているのかを知る大きな材料となるのだが、所蔵機関が限られ(欠号なく揃える機関は無い)、発行期間も短いことから、『穎才新誌』がしばしば言及されるのに比して、ほとんど顧みられることのない資料であった。これについては、「作文する少年たち--『穎才新誌』創刊のころ」(『日本近代文学』70)において成果の一部を公表した。
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