前年度に引き続き、幕末から明治期にかけて発行された漢詩文系作文書の網羅的収集およびデータベース化を、デジタルメディアを用いて行った。国会図書館や国文学研究資料館など、明治期刊行物についてのデジタル画像データを提供する機関から、利用可能な範囲においてデータをダウンロードないし印刷して蓄積する一方、国内および海外(台湾大学)において文献調査を行い、デジタルカメラによる画像、もしくはマイクロフィルムをマイクロスキャナによってデジタル化した画像を収集蓄積した。古書肆より購入した原本については、スキャナによって画像を蓄積した。 集積されたデータをもとに、分析検討を加えたが、その視点として、出版文化・文体・表現内容の三側面を相互連関的に捉え、作文書の登場した経緯とその果たした役割を探った。出版については、往来物から作文書への展開の中で、江戸期からの書肆が大きな役割を果たしていること、東京のみならず、京都・大阪の書肆がこの種の出版物を多く発行していることが明らかになった。また、漢字カタカナ交り普通文からひらがな交じり普通文への移行と、銅版から活版への移行が、おおむね重なりあっていることが見て取れるなど、データの集積によって有用な知見を得ることができた。これらの詳細については、別に報告書を用意したい。 今年度は、これまで得られた知見を総合し、漢詩文を規範になされた作文という行為が、素読という音声の側面も含めた訓読という行為といかに関わっているか、そしてそれが明治普通文成立のメカニズムといかに関わるかを明らかにすることを目指した。結論を言えば、近世以来の素読(訓読)が明治期作文の根底にあった、ということになり、そこからの離脱が、言文一致対への転換であったということになる。これについては、『漢字圏の近代:ことばと国家』所収の「漢文の命脈:古典文から今体文へ」で一端を明らかにした。
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