研究課題/領域番号 |
15320107
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研究種目 |
基盤研究(B)
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研究機関 | 三重大学 |
研究代表者 |
山中 章 三重大学, 人文学部, 教授 (40303713)
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研究分担者 |
山田 雄司 三重大学, 人文学部, 助教授 (90314103)
廣岡 義隆 三重大学, 人文学部, 教授 (40098512)
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キーワード | 聖武天皇 / 伊勢国 / 河口頓宮 / 川口関 / 暗紋土師器 / 焼塩壺 / 万葉集 / 朝明頓宮 |
研究概要 |
聖武天皇伊勢行幸地探求の初年度は、河口頓宮の有力推定地・三重県一志郡白山町に所在する野田浦遺跡の一角で行った。河口頓宮は聖武天皇が天平十二(740)年、十一月二日から十一日まで滞在した伊勢国最初の行幸地である。1971年に行われた調査では、検出遺構や遺物に関する十分な検討が行われておらず、河口頓宮との関係はほとんど考慮されていなかった。ところが今回事前に出土遺物を検討した結果、製塩土器(焼塩壺)や奈良時代前半から中頃の暗紋土師器が相当量存在することを確認した。さらに本年度の発掘調査により同様の遺物が出土したほか、これまで確認されていなかった奈良時代後半から平安時代前半期の遺構(塵埃廃棄土壙)を数多く発見した。 以上の成果を総合的に判断した結果、河口頓宮跡が本年度発掘調査地を東限とする東西700メートル、南北500メートルほどの広大な空間に存在することが推定できた。と同時に、頓宮が独立して存在しているのではなく、川口関、斎王の河口頓宮などと複合して用いられていることが判明したのである。伊勢行幸は、あらかじめ造伊勢行宮使を任命し、十分な準備を経たうえで進められたことが知られている。しかし、400人に上る大規模な騎兵を伴い、500人を超える大規模な構成員を維持するためには、既存の公的機関を利用或いは改修する方法が最も有効と判断されたのではなかろうか。 ところで、朝明郡(評)衙に推定される久留部遺跡(現四日市市)での発掘調査の成果を検討すると、同遺跡が七世紀後半に建設され、評衙施設としては全国でも一・二を争う規模の大きな建物で構成され、八脚門を伴う極めて格調の高い構造を持っていることが知られる。朝明の地は壬申の乱において大海人皇子が訪れ、伊勢神宮を遙拝した地であり、かつ聖武天皇が行幸した土地でもある。久留部遺跡が評衙や郡衙としては異例な規模や構造をもつ背景にはこうした歴史的事実が関係しているものと考えられる。 本年度の調査研究により頭書の研究テーマである行幸地探求の大きな手がかりを得ることができた。残された一志、赤坂頓宮の探求もまた、来年度以降、両郡内の公的施設推定遺跡において進めることになろう。
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