本年度は、宮崎市吉村町に所在する檍1号墳(墳長約52mの前方後円墳)の第5次調査を行い、後円部の木槨および木槨に接続する墓道のほぼ全容を明らかにした。 (1)木槨の規模と構造 木槨は後円部中央から背面側に偏し、墳丘主軸に直交する。木槨は天井材・壁材の腐植のため完全に崩落していた。木槨の平面形は東西に長い長方形、床面での内法は長辺7〜7.4m、短辺3.5〜4.2m(平面積約17m^2)、高さは1.5m前後と推測される。長辺は厚さ20〜25cm、長さ4m程度(高さは不明)の角材2本を繋ぎ、継ぎ目部分の内側に木柱を立てる。短辺小口は長側壁間に角材を挟み込む構造。床面は多少の凹凸があるがほとんど平坦、槨内の北東隅に偏して割竹形木棺の痕跡が発見され(長さ2m、小口幅1〜1.2m、深さ0.4m)。木棺内の副葬品は皆無、赤色顔料もまったく見出すことができなかった。 (2)墓道の規模と構造 木槨を収めるは浅皿状の墓壙内は、前方部側の中央が開いて前方部平坦面に延びる墓道に接続する。墓道幅は約5m、長さ約17m、深さは最深部で0.7mである。前方部頂面から地山を開削したもの。木槨構築の中途で埋め戻され、上部は墳丘盛土で覆われる。 (3)調査の成果と課題 今回の調査で確認された檍1号墳の木槨は、これまでわが国で確認されているこの種のなかで最大規模、また前方部頂面から接続する墓道は初出例である。後円部墳頂から出土した土師器の年代は4世紀前葉頃と推測され、墳形や木槨構造とのあいだに懸隔が感じられ、古墳築造年代は今後さらに検討する必要がある。いずれにしても、古墳分布南端域における出現期古墳の複雑な様相の一端が明らかとなったことは重要である。
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