古墳分布南端域における古墳の出現過程の解明を目指した本研究では、(1)宮崎市檍1号墳、(2)西都市西都原81号墳の2基の前方後円墳の発掘調査を実施した。調査内容とその成果は次のとおりである。 (1)宮崎市檍1号墳は調査の結果、墳長52m、後円部直径35〜38m、同高4.5m、前方部長約17m、同高1.7〜2m、前方部前面幅約20mの規模が確定し、規格性の低い墳形が想定された。後円部から確認された埋葬施設は国内最大級の木槨と判明した。木槨は長方形のプランで、長さ6.8〜7.2m、幅4.0〜4.2m、高さは約1.5m程度と推測される。木槨内には短小型の刳抜式木棺の埋置を確認した。また前方部平坦面から長さ17mにわたる開削墓道の一部を検出した。檍1号墳の築造時期は後円部墳頂から出土した土器から4世紀前葉と推測される。 (2)西都原81号墳は調査の結果、墳長53.7m、後円部経37.5m、同高3.7〜6.9m、方部長20m、同高1.2〜1.6m、前方部前面幅約20mの規模と、奈良県纒向石塚とほぼ等しい比率をもつ墳形を確認した。墳丘は後円部のみ2段築成、鍵穴形平面形の周堀は前方部隅角で収束する形態と判明した。後円部背面側に接続する突出部は、後円部墳丘下段と同時に形成され、上部平坦面外周に石組みが全周することが確認された。また突出部上面、くびれ部、後円部上段墳丘斜面から4基の小型陪葬遺構を確認した。本墳の築造時期は3世紀後葉と推測される。 以上の調査により、(1)南九州における前方後円墳の出現が3世紀にさかのぼること、(2)前方後円墳の墳形と墳丘構築法の多様性、(3)埋葬施設の独自性と多様性(木槨・短小型刳抜式木棺)が明確となった。なかでも檍1号墳の木槨構造と西都原81号墳の調査成果は、畿内中枢部の前方後円墳形成過程と、前方後円墳の列島的規模の拡散研究に寄与するものである。
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