研究概要 |
本研究では,都市の構造転換とコミュニティの変容を東京圏における京浜地区を事例として実証的に検討した.京浜地区に含まれる川崎・横浜地区では,90年代以降の東京のさらなる発展と京浜工業地帯の衰退を受けて,東京都心への通勤者を見込んだ住宅都市や多摩川沿いに集積した産業技術にもとづく研究開発都市への転換を政策的に模索している.他方,京浜地区内陸部は東急不動産による宅地開発によって東京のベッドタウンとして発展し,早くから市民活動がさかんな地域として注目を集めてきた. 第1年度には,横浜市の港北区と鶴見区を対象に,社会地区分析による空間構造の検討と郵送法によるサーベイ調査を行い,実際にどのような背景をもった人々がコミュニティに流入・定着しているかを確認した.第2年度には川崎市宮前区と横浜市青葉区を対象に,やはり社会地区分析と個別面接法によるサーベイ調査を実施した.あわせて,近年明らかになってきた東京圏の社会地図による分析の成果を取り入れ,関東全域に広がる東京圏全体の中での京浜地区の位置づけを明らかにした. 以上の空間構造に関する社会地区分析を中心としたデータと,個別コミュニティに関するサーベイ調査のデータを組み合わせることで,以下のような点を明らかにすることができた.京浜地区に関する川崎市や横浜市の政策的な展望は,東京圏の空間構造の転換という点ではそれなりの根拠があるが,コミュニティの社会的形成という点ではこの地域の歴史的な経緯を無視することはできない.たとえば,鶴見区に東京都心部への通勤者として新たに流入しているのはそのほとんどが地方出身者であり,現在でも戦前から定着した家族や川崎・横浜の業務地区に通勤する人が予想以上に多いことが明らかになった.また,宮前青葉地区においても,確かにかつて多様な市民活動を生み出し,現在も地域活動を支えているのは,地方出身でいったん東京に流入し,やがてこの地域に定着していった60代を中心とした女性であるが,50代以降の世代ではむしろ地方大都市部や東京の出身であったり,もともと京浜地区に生まれ育った世代が多くなっていることが明らかになった.つまり,東京都心部とのつながりよりも,川崎や横浜の発展との関連が強まっているのである. このような成果は都市の空間構造とコミュニティの変容の両方に注目したがゆえに得られたものであり,本研究の方法的視座の有効性が証明されたといえよう.
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