研究課題/領域番号 |
15330104
|
研究種目 |
基盤研究(B)
|
配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
社会学
|
研究機関 | 県立長崎シーボルト大学 |
研究代表者 |
小林 直毅 県立長崎シーボルト大学, 国際情報学部, 教授 (10249675)
|
研究分担者 |
伊藤 守 早稲田大学, 教育学部, 教授 (30232474)
大石 裕 慶應義塾大学, 法学部, 教授 (40213623)
藤田 真文 法政大学, 社会学部, 教授 (60229010)
小林 義寛 日本大学, 法学部, 助教授 (70328665)
別府 三奈子 日本大学, 法学部, 助教授 (20353203)
|
研究期間 (年度) |
2003 – 2005
|
キーワード | 水俣病事件 / メディア言説 / メディア表象 / ジャーナリズム / イデオロギー / 地域社会 |
研究概要 |
水俣病の加害企業がチッソであることが、1968年に政府によって認定されるまでの水俣病事件報道においては、水俣病の患者とその家族たちを、抑圧的に表象する言説が形成されてきた。チッソ水俣工場の加害責任が明確にされないまま、わずかな金銭的支払いだけで患者と家族への補償を済ませようとする「見舞金契約」が1959年に12月に締結されたが、その後は、患者と家族を、金銭的支払いを受け取る存在として語り、また、水俣病事件それ自体もすでに終結したと語る物語がメディア環境に形成された。その結果、水俣病事件は、メディア環境における出来事としては、もはや顕在的に生ずる出来事ではなくなっていった。 1956年以降の『経済白書』には、経済発展によって日本の独立と国際的地位が確立されるという経済ナショナリズムの言説が形成されていたが、水俣病事件報道に形成されていた言説もまた、こうしたイデオロギー的特徴を示していた。さらに、このような報道の言説には、経済発展こそが、それによるさまざまな矛盾を解決するという戦後日本の高度経済成長のイデオロギーの特徴を見て取ることができる。 1962年にチッソ水俣工場で起こった労働争議、すなわち安定賃金闘争も、経済発展を追い求める経済政策の矛盾が表面化した出来事として大規模に報道された。しかし、そうした重大な社会問題として、労働争議を報道する言説は形成されていたものの、他方では同じ言説が、水俣病の原因物質がチッソ水俣工場の排水に含まれていたことを明らかにした1963年のスクープを潜在化させていた。つまり、経済発展がもたらす矛盾としての労働争議にっいての報道が、当時の経済発展を支える有力な企業の一つであったチッソの加害責任を追及する言説の形成を阻むこととなったのである。
|