近代日本の国造りにあたり欧米先進国から導入された土木技術が、(1)当時の世界の技術発達史上どのようなレベル・位置付けにあり、(2)その技術が日本国内でどのように受容され継承されていったか、また、それによって(3)個々の土木遺産の技術評価はどう変化するか、などについて明らかにしようとする、ことが研究の目的であった。 2年目である平成16年度に実施したことは、大きく、a)海外の現地調査と、b)国内の資料収集とその一次分析の2つに分けることができる。 まず、a)については、戦前、日本の外地であった南樺太(現・サハリン)において、日本技術者が手がけた土木構造物(ダム、港湾、鉄道)をリストアップし、実際に現地を調査することで技術史構築に関わる大きな情報を得ることができた。具体的には、これまで資料(古写真)からわが国最初のアンバーセン式バットレスダムと思われていたダムが、実際にはマルティプルアーチダムであったことを現地で確認し、わが国では唯一のRCによる同形式であることが判明した。 また、b)の国内データについては、古書の購入や全国各地の図書館を訪れ、港湾、ダム関連の資料収集を積極的に実施し、時代の流れと技術の間にある大きな相関をつかむ作業を行ってきた。港湾に関しては、明治後期から昭和戦前期を対象として、特に防波堤や岸壁などの主要施設の工事において急速に普及したケーソン工法に焦点を当てた。その中で、欧米から導入された技術が日本の環境に合わせて改良され、昭和10年代には世界でもトップレベルになっていたことを明らかにした。これに関しては1本の学術論文を準備中である。ダムに関しては、これまでほとんど明らかにされてこなかった潅漑用ダムと砂防ダムに着目し、他の分野と比べてコンクリート化の遅れた要因を探索中である。なお、当初予定していた橋梁(吊橋)、トンネルについては、平成17年度の課題として準備を進めている。
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