島は、その地理的条件によって、その国の窓口・フロンティアとしての役割を担ってきた。この研究では、台湾島嶼についてその歴史や政策を通して、島嶼地域の位置づけ、台中両岸関係、離島建設条例、小三通、台湾と沖縄・八重山の国境交流について考察した。 台湾は、オランダ、鄭成功、清国に次いで日本の統治を受けた。日本の植民地支配は、台湾を南進基地として位置づけ、理蕃政策や同化政策等によって推し進めた。 ところで、島嶼地域は国策に翻弄された側面を持っている。とりわけ台湾島嶼の場合は、軍事前線として、あるいは廃棄物処理所としての役割を担わされてきたが、2000年3月制定の離島建設条例に基づいて三通政策の解禁の窓口として位置づけられるようになった。同条例では、澎湖、金門及び馬祖地域と中国大陸との間の「試辨通航」(俗称・小三通)を認め、さらにこれら島嶼地域の営業者に係る営業税と輸入関税の免税措置を定めている。小三通から大三通を見越して、金門では輸出加工区の建設計画があり、澎湖群島では租税の免税措置を活用して、フリー・ゾーンやカジノを建設する構想がある。 小三通は、台湾の島嶼地域と大陸の間にある海上取引という違法取引を合法化する方策の一つとして解釈できるが、トラブルを抱えながらも、両岸で小三通による経済交流が進みつつあるのは歓迎すべきことである。台湾海峡の両岸関係がうまくいくことが、東アジアにおける平和構築の必要要件の一つだからである。 台湾と日本最西南端の与那国島とは、第2次世界大戦直後まで交易が行われていた歴史を持つ。また、石垣島には台湾からの移住者が産業活動に従事している。自立ビジョンの実現のために、与那国特区構想による新たな時代における国境交流の方策を探った。
|