1.沖縄側からの要請に応じて1947年に創設された沖縄民政府立中央図書館石川分館、中央図書館(知念)、首里分館、名護分館の各館は、1951年に中央図書館が那覇に新築された折に、首里分館を除き全て琉米文化会館(Ryukyuan-American Cultural Center)という名称に変えさせられた。その経緯を調べるための文献資料(日英)をある程度収集することができた。さらに首里分館時代から司書として関わってきた方に接触することができた。その結果、面談することができ情報/資料の提供を受けた。 2.1952年に設置された宮古琉米文化会館と八重山琉米文化会館の関係者に聞き取り調査と、その当時の蔵書の部分リストを入手できたこと。かつ、八重山では石垣市立図書館に旧八重山琉米文化会館の蔵書が部分的に所蔵されていていることが分かり、その書誌データを作成することが緊急の課題となった。洋書の絵本のリストだけは既に作成されており、そのコピーを入手できた。関係者の証言や蔵書構成の内容分析を通してアメリカの対沖縄文化政策(図書館政策)が見えてくるものと期待している。 3.今年度は、主として基本的な文献資料(日英)と行政資料の収集および関係者の聞き取り調査に重点をおいた。その主旨は概ね達成された。ただし、琉米文化会館の当事者との面談はかなり成就したが、課題は利用者の声(面談や既に公げにされた記録等)を聞き取りや収集することである(次年度)。即ち、沖縄の住民がどのように利用していたかが分かれば、公共図書館としての機能が判明するものと思量される。 4.最後に、沖縄本島で3名、宮古(平良)で1名、八重山(石垣)で1名の調査補助を協力してくれる方を得られたことが大きな収穫であり今後の研究を進める上で大いに役に立つことである。
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