本研究の目的は、近代日本における「心身の一体化」という問題を歴史的に検討、考察することにあった。特に今年度は、来年度以降の個別的な検討にはいるための準備段階とし、1920年代から40年代にかけて公刊された体育研究者と教育学者の著書や雑誌論考を収集しながら、具体的な研究対象を明確にさせた。 その結果、体育研究者としては三橋喜久雄を、教育学者としては渡部政盛を今後の研究対象として特定することができた。当初の計画としては、資料の収集範囲を体育研究者と教育学者の著書や雑誌論考としていたが、その範囲を多少拡大させた結果、興味深い史料もいくつか収集できた。第一に、2.26事件の首謀者であった北一輝も近代日本における「心身の一体化」の範疇にある丹田の問題に関心を寄せていたこと、第二に、東洋医学を研究していた多田政一や別所彰善らも心身一如に言及していたこと、そして第三に、1940年の国民学校体錬科に関する資料の中にも「心身の一体化」に関する議論が多数見受けられたことが判明した。 以上のような作業結果により、近代日本、特に1920年代から40年代にかけて、「心身の一体化」がいかなる位相にあったのか、その輪郭がおぼろげながら見えてきた。第一に、西洋由来の体操やスポーツにより「心身の一体化」が弱体化したという認識が当時を支配していたこと、第二に、1940年代、すなわち戦争の時代に近づくにつれ、「心身の一体化」への関心が高まっていったことなどが漠然と見えてきた。 次年度は、三橋喜久雄、渡部政盛、北一輝、多田政一、別所彰善、国民学校体錬科などを具体的な研究対象として詳細な検討、考察を進める。その際、それぞれの研究対象がなぜ「心身の一体化」に注目し、何を実践しようとしていたのかを拾い出し、共通する理念を描き出したいと考えている。
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