本年度は日本スポーツ史学会及び日本体育学会における二つの口頭報告と、最終的な報告書の作成を中心に行った。 日本スポーツ史学会では、体育界の三橋喜久雄を事例として、戦時下における心身の問題を検討し、口頭報告した。その結果、心身一如という心身の一体化が掲げられていたが、強調されていたのは身体による精神の顕現であったことが判明した。特に三橋の場合は、肉弾や体当たりまでもが心身の一体化という言葉で説明されていた。 日本体育学会では、教育評論家の渡部政盛を事例として、戦時下における腹と腰を1920年代との対比から検討し、口頭報告した。その結果、1920年代には心身の一体化に際して不可欠な身体部位であった腹と腰が、戦時下には単なる日本的な身体の代名詞としての機能しか持ち得なくなってしまったことを明らかにすることができた。 近代日本における心身の一体化とは言いながら、最終的に本研究が明らかにすることができたのは、1920年代から40年代までのおよそ25年間にわたる心身の一体化であった。しかもある特定の人物による論考という限られた史料による実証に終始した。その結果、1920年代から40年代までの心身の一体化には、大まかに二つのパターンが存在していたことが明らかとなった。一つは精神に作用するために身体の存在と働きを必要とする際に心身の一体化という言葉が使われ、そしてもう一つは身体の働きや運動を向上させるために精神(意志)の助力を必要とする際にも心身の一体化という言葉が使われていたということである。特に、体育・スポーツにとっては身体や運動に有用に作用することを主眼とした心身の一体化が唱えられていた。
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