現行の学習指導要領で体育において登場した「体ほぐし」の運動は「心と体の密接な関連上」を強調している。その内容は、画期性を指摘する声も多く、体育以外の教科担当者からも好感をもって迎えられている。しかし、実際の授業における具体的な実践の場面では、何をどのように指導すれば「心身の関連」という理念を実現できるのかという戸感いもあり、「心と体を一体として捉える」「自分や仲間の体や心の状態に気付く」という場合の「捉える」「気付く」ということに関する哲学的問題の検討も不充分なままに残されている。本研究では、体育が教材として用いるスポーツは、人間の生の経験に対してどのような意味を持ち得るのか、という原理的な問題について検討する。特に「人間にとってのスポーツの普遍的な意味とは何か」「『生きる力』を育む体育における教材としてのスポーツの教育的価値とは何か」ということを中心に考察する。3年計画の1年目である本年度は、わが国において既に明治30年代から取り組まれている、心身の密接な関連のもとにおける教育論から、われわれは何を学び得るのかということについて考察した。高嶋平二郎の『体育原理』にみられる心身の関連についての検討と、明治時代に大衆的な運動として流行した「健康法」「座禅」にみられる「心身一元論」「自然との一体化」「生命一元論」についての検討を通して、「心と体」の問題は、自己自身の存在への問いと不可分であるという知見を得た。このような認職に立ち、さらにスポーツが人間の生の経験に対してどのような意味を持つのかという原理的な問題についても考察し、スポーツにおける自己の達成は他者との連帯に発展する可能性を秘めていることを明らかにした。2年目の来年度は「体ほぐし」や「体への気付き」が「生きる力」を育む体育においてどのような意義を持ち得るかということについて明らかにする予定である。
|