本研究は、日本各地において行われてきた伝統的な打球戯の形態と変遷を、スポーツ史研究の立場から明らかにすることを目的としている。具体的には、日本の伝統打球戯が、時代や地方、担い手によって、どのように名称や競技法を変えながら、またどのような独自性をもって行われてきたのか、ということを考察するものである。 平成16年度も継続しで、現地調査を中心に、「打毬」や「ハマ投げ」などの日本の伝統打球戯に関する文書史料の調査・収集および実態調査を行った。 「騎馬打毬」は、紅白2組で、馬上から自分の組の毬を毬杖ですくい上げ毬門に早く投げ入れた組が勝ちとなるという打球戯であるが、時代や地方によって競技法は異なる。山形・水野藩附伝豊烈神社古式打毬と宮内庁主馬班保存の打毬では、同種の毬門(円形に切り抜いた的を設けたもの)を用いるが、八戸・長者山新羅神社の加賀美流騎馬打毬では、棹を立てた毬門を用いている。昭和中期に一時復活された徳島・阿波古式打毬では、加賀美流騎馬打毬と同種の棹の毬門を用い、2組が時間内に入れた毬の数を競うというものであった。 「徒歩打毬」から生まれた「毬杖」(ぎっちょう)もまた、薩摩の「ハマ投げ」のように、地方によって名称や遊戯法が異なっていた。 本研究における収集成果は、情報として蓄積し、研究代表者・研究分担者間で整理・検討し、考察を行った。また、国内の学会等の機会を利用して、発表・情報収集・意見交換を行った。
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