研究概要 |
1.宇田川榕菴『舎密開宗』(1837)の参考書『紐氏韻府』というのは、ニューウェンホイスの『学芸技術百科事典』、すなわち、Gt.Nieuwenhuis, Algemeen Woordenboek van Kunsten en Wetenschappen全8巻8冊(1820-29)であることを、『舎密開宗』の抄訳引用文と比較検討することにより明らかにした。さらに次のことも新たに指摘した。 (1)H.Davyがボルタ電堆で電解して1807年にアルカリ金属を単離したことが、『ニューウェンホイス百科事典』中にあり、これを榕菴が『開宗』にはじめて紹介した。 (2)榕菴がボルタ電堆の電極のプラスを亜鉛側とし「積極」と命名、マイナスを銀あるいは銅側とし「消極」と命名し電解反応を説明していることは、榕菴が電極の正負を誤解していると従来日本では考えられていた。筆者は、その誤解を解き榕菴が当時のボルタ電堆の電極反応を正しく導入していたことを、論文で明らかにした。 2.『開宗』以前、日本にはじめて薬化学を紹介した宇田川玄随『製煉術』(稿本1785-8)の原本はStephanus Blankaart, Nieuw Ligtende Praktyk der Medicinen,...Chymie(512p)の最後に付録としてあるDe Nieuwe Hedensdaagse Stof Scheiding oft Chymia(120p)の部分で、"Chymie, Chymia"を「製煉術」と訳し表題にした。そして、その訳文と原本を対比検討し、"distilleren"がはじめて「蒸餾」と訳されるなど、玄随の用語をまとめた。 また、同じく薬化学を紹介した橋本宗吉『蘭科内外三法方典』(1805)とそのオランダ語原本(1749)とを対比し、訳語を検討した結果、宗吉は"Scheikonst, Scheikust"を「製薬」及び「鎔鑠」と訳し、最後は「鎔分術」と訳し変えて化学の学問の内容を表そうとした。また、化学用語としては「濾過」「沸騰」「凝固」「乾燥」などはすでに常用されていた。
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