北方日本地域の木造動力船技術の特徴を明確にするには、地元八戸地域の造船の特徴を基準にして、北は函館から南は石巻・塩釜に及ぶ三陸沿岸、北海道道南部沿岸、更に三重県鳥羽市における造船技術について比較検討する必要が出た。八戸地域で木造動力船建造の技術が萌芽するのが大正初年で、その確立は大正末年からという仮説をたてた。2.そのため、調査先は、(1)鳥羽市、(2)石巻市、(3)宮古市、(4)函館市を主とし、その近辺の造船所、旧造船所関係者(山田佑平、北村亀蔵の子孫)たちに両親調査し、資料の収集を行なった。その結果、(1)「西洋形帆船講習録」(明治43年 岩手県下閉伊郡大沢村)、(2)「木造船戦時標準型要項」(昭和17年、函館市日魯漁業造船所)、(3)「木造船設計図」多数(宮古市・北村造船所ほか)などを収集、あるいは撮影、記録することができた。また、木造動力船の工程を記録した8ミリフイルムも発見した。3.地元の八戸地域、青森県・岩手県では、博物館収集の木造動力船とは別に、係留されているそれを発見した。たとえば、八戸鮫港・漁吉丸(昭和45年9月15日進水、八戸佐川造船所)、八戸市川港・松和丸(不明)である。漁吉丸の建造者は生存していることもわかった。4.私的・公的資料の存在時少ないが、青森県八戸水産事務所には漁船の「船籍簿」が戦前のものとしては多数残存していることがわかった。また、国土交通省の各海事事務所にはやはり、大型船の「船籍簿」が残存していて、これらに目を通した。特に、八戸では漁船の船籍簿の古いものはほとんど木造船であるところから、これをすべて手書きで写し取る許可を得て、収集した。この分析はまだであるが、これは貴重なものと判断した。他県各所の水産事務所ではこのような資料は殆んど廃棄されていることを確認している。5.磯舟船大工の技術系譜を調ぺたが、磯舟の大工が木造動力船の木工となるには技術の「壁」があり、各地で「技術講習会」などが繰り返されたこと、そして若手大工がそれを習得したが、高齢の棟梁たちがそれから脱落したことがわかった。
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