石器原材産地調査において、新潟県川上村、常浪川採取黒曜石様原石は岩野原遺跡出土遺物諸群と組成は一致しなかった。また、安山岩製では金山産地周辺から原石採取し分析し、高知県の松ノ木遺物群と比較したが一致しなかった。北海道、北見市の常呂川産原石が北海道の各地遺跡に伝播している可能性が推測されているが、調査した北海道、チプニ遺跡、穂香遺跡、上台1遺跡、キウス5遺跡、大成2遺跡、札内K遺跡、若葉の森遺跡、三の山遺跡などで、常呂川原産の常呂川第1、2、3群の原石の使用が認められず、使用されている所山産原石は、置戸・所山産地で採取された原石が使用されている可能性を推測した。安山岩製遺物では、千葉市の六通神社南遺跡の縄文時代草創期の石槍に奈良県二上山産サヌカイトとと下呂産安山岩がそれぞれ4個ずつ使用され、奈良県のサヌカイト文化が千葉市に伝搬していることを明らかにした。勾玉・管玉など玉類石製品の原材産地分析では、弥生時代前期の管玉玉材の中で西北九州を中心に使用されている未定C群碧玉と牟田辺群凝灰岩の玉材は、新潟県の青田遺跡で牟田辺遺物群管玉の使用が、また、和歌山県御坊市堅田遺跡での同遺物群管玉の使用確認で、西北九州の玉文化が日本海を北上、また瀬戸内を通り太平洋沿岸の遺跡に広がった可能性が推測された。これらルートは縄文時代晩期に存在した可能性は、南九州の上加世田遺跡、大坪遺跡の玉造遺跡で使用されている結晶片岩様緑色岩製玉が、大阪府向出遺跡、青田遺跡で使用されていることから明らかになった。水和層測定は北海道を中心に行い大成遺跡、札内K遺跡の水和層年代が土器形式で縄文時代中期にもかかわらず想定年代より、約2000年古くでた。今後、古くでた理由を明らかにする必要がある。
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