フランスにおける「共和主義的反動」-移民問題とライシテ、郊外の暴動 今年度はフランス本国における「少数民族」としての「移民」とそれに関わる近年の諸問題、とりわけ2004年秋から公立学校で施行された、イスラム・スカーフの着用禁止措置と2005年秋から冬にかけて起こった郊外の暴動事件から「共和主義的反動」と「排除」の問題について考察した。1995年か2002年までのジョスパン首相を首班とする社会党政権下では、地域語の承認やコルシカの自治など旧来の共和主義を見直す動きが主流であったのに対し、2002年以降の保守的改革路線は、「フランス」というナショナルな枠組みに回帰する共和主義、すなわち「共和主義的反動」とグローバル化の波に乗る「リベラリズム」とのせめぎあいとなり、ジョスパン社会党が目指していた穏健で多文化主義的な共和主義は後退せざるをえなくなった。その結果、社会的弱者やマイノリティが「排除」され、暴動や混乱につながり、フランスの社会的統合はより一層困難になったと結論付けられる。 フランスにおける各地域の新しい動き-コルシカとバスク コルシカおよびバスクを地域語およぶ地域文化の変容の対象地と選んで調査を行った。両地域とも1960年代に激しい民族主義運動が起こり、コルシカ語もしくはバスク語の擁護が叫ばれ、伝統的民族音楽の復活がなされた点で共通であるが、地域語の使用形態という社会言語学的側面で両者は対照を成すことが分かった。コルシカではコルシカ語の学校以外での使用、特に家庭での日常的使用については積極的であり、フランス語と併用でありながらも、若い親が乳幼児に日常的にコルシカ語を使用する状況が確認できたが、バスクでは市町村によっては役場の表示を二言語にするなど積極的なところもあるものの、日常会話として使用されることは極めてまれであった。これには言語の習得しやすさ(コルシカ語はフランス語に近いロマンス語であるのに対し、バスク語は全く異なる非印欧語である)もあろうが、他の要因も考えられよう。これについては今後の調査に期待したい。 カナダ、特にケベック州の対フランス語圏政策-1960年代後半を中心に ケベックの有力紙『ル・ドヴォワール』の60年代後半の記事を中心に、対外フランス語圏政策(主に旧フランス領アフリカ諸国)をめぐるカナダ連邦政府とケベック州との対立と交渉関係を分析した
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