本研究の主要な目的は、19世紀後半にフランス・マラヤ・日本の女子教育に大きな足跡を残した修道女メール・マチルド(1814・1911)の97年に渡る生涯を縦糸に、彼女の所属した修道会である幼きイエス会が設立した3カ国のミッションスクールの歴史を横糸として、同時代・3カ国の民衆の社会史を横断し、教育による「民際交流」を明らかにすることにあった。平成15年度はフランス、シンガポール、日本の幼きイエス会の各アーカイヴにて資料収集にあたった。フランスは先進国の中でも女性の社会参加に関しては後進国といわれてきた。しかし、今回明らかになったのは、フランス社会史の福祉・教育の分野における女子修道会の貢献度の高さであった。平成16年度の研究は主として、マチルド生きた時代史の検証にあてた。その結果、フランス革命における修道会への迫害が、フランスの修道会を海外宣教に駆り立てたことがわかった。また、プロテスタントのミッショナリーの中国への関心が、カトリックのミッショナリーをして、中国の周辺部である東南アジアや日本に活動拠点を置く結果となったことがわかったことも興味深い。平成17年度は研究助成の最終年度として、彼女たちを受け入れた側、すなわちイギリス植民地下のマラヤと明治期の日本の当時の教育政策と実情について研究を深めた。研究の最後には、現在のシンガポールと日本における幼きイエス会の活動についての調査も実施し、その過程において現在のミッションスクールが抱える問題点もいくつか見えてきた。
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