今年度は、アメリカ合衆国における異人種間結婚禁止法について、植民地時代に遡る成立起源、全米各地への普及状況、南北戦争後の再建期における異人種婚禁止体制の状況、南部人種隔離制度との関係、廃絶にいたる歩みなどを検証した。 その結果、次のような知見を得るにいたった。 1.南部植民地においてアフリカ人奴隷輸入・奴隷制の開始とともに、異人種間の性交渉と結婚を厳しく取り締まる規範が誕生したこと。 2.奴隷制を保持・発展させる南部諸州のみならず、奴隷制を廃止した北部や西部の諸州のなかにも、異人種婚禁止を定める州が少なくなかったこと。とくに、西部諸州では、黒人とともに、アジア人を、白人との結婚を禁止する対象に含めた。 3.南北戦争終結から再建初期にかけて、南部のなかにも、異人種婚禁止法を廃止したり、州最高裁判所で異人種婚を容認する州が現れ、禁止体制が動揺したこと。とりわけ、アラバマ州におけるバーンズ判決(1868年)は、連邦の市民権法・憲法修正第14条が保証した法のもとでの平等の理念に根ざして、結婚の権利を擁護した。 4.再建初期の動揺を経たものの、南部では民主党白人の権力奪還によって、異人種婚禁止法はより強化されて復活し、公共空間の人種別隔離政策を支える重要な法的基盤となったこと。1924年のヴァージニア州の人種純血保全法は、この時期の禁止体制を象徴する。 5.第二次世界大戦後、カリフォルニア州最高裁のペレス判決が異人種婚禁止体制廃絶への開始点となり、1954年のブラウン判決時の混乱を経た後、1967年の連邦最高裁によるラヴィング判決が異人種婚を禁止する州法を違憲と断定し、禁止体制を廃絶させる鉄槌を下したこと。
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