ホメイニーに焦点を当てた現代イスラームとリベラリズムの価値観との相対化を行うに当たり、初年度に当たる今年度は主として、民主主義をキーワードとして作業を行っている。このために一連の資料をイランならびに国内において収集するとともに、それらの読み込み作業を並行して行い、かつこれを継続中である。また、ホメイニーの代表的論著である、「イスラーム統治論」と「大ジハード論」は平凡社の出版要請に応じて、これらの翻訳に解説を附する形で、2003年10月に刊行した。 一連の研究と資料読み込み作業を行う中で、民主主義と関連して、あらたに気づいた点、あるいは知見は次の点である。 1、ホメイニーの思想の背後をなすイスラーム・シーア派では、イスラーム法の法源として、(1)聖典コーラン、(2)伝承ハディース、(3)合意イジュマー、の次に、スンナ派とは異なって、(4)理性を挙げる。この理性は、近代西欧の理性とは異なり、真偽の判別機能よりも善悪判別の機能の側面が強調される(シーア派の理性には二つの役割があり、一つはコーラン、ハディースなどから神の意志を演繹する機能であり、もう一つはコーランやハディースなどの法源に依拠せずに、神の意志を判断する機能であるが、この後者の役割としての特徴である)。しかし、諸事における善悪判別機能としてのこの理性は、今日のシーア派の教義上、ムジュタヒドがこれを行使する権限を占有しており、一般信徒にはその権限が無い。これは、一般信徒たちが自らの見解をムジュタヒドの見解に依拠させることを意味し、人民の政治参加の意味も、独立した個人としての見解に基づく自発的政治参加であるよりも、シーア派の指導的ウラマーの説く見解やイデオロギーに呼応した被動員的参加となる側面を持つことが指摘される点である。 2、また、シーア派における基本信仰箇条の一つである「神の公正・正義」でいうところの公正・正義('adalat)は、平等という意味ではなく、諸存在の能力に応じた位置に基づく秩序という意味を持つ。この概念は階級社会の是認へとつながり得るものであり、平等という民主主義の基本的価値観との関係上、注目すべきポイントの一つであり得るという点である。
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