本年度は17世紀末に出版されたフォントネルの『世界の複数性についての対話』と、その類似文献のみを分析する予定であったが、パリの国立技芸博物館教授であるフェリオ氏を招聘してジャンリス夫人についてのレクチャーを受けたため、フランス革命期の科学啓蒙とジェンダーの関係についても分析を行った。 前半の時期の文献に関して判明したことは、たとえ女性読者向けであっても、作者のほとんどは男性であり、「男性による女性の科学啓蒙」という図式がそれらの作品に色濃く反映されていた。国別の特徴も明らかになった。『対話』の類似書であっても、フランスほどサロンが発達していない他国の啓蒙書の女性イメージは、フランスのそれより幼稚である。女性向けの科学啓蒙書でありながら、女性の概念そのものは科学と相反するものであると作者が考えているという矛盾をそれらの作品は内包していた。 後半の時期には、前半と異なって女性の書き手が多数存在する。中でもオルレアン公爵家の家庭教師、ジャンリス夫人はその生涯に140冊もの著作を残している。中でも教育書は有名であり、そこでは男女ともに科学教育の重要性が強調されている。しかしこの時期の女性作者の特徴は、その主張が同時期の開明的な男性科学啓蒙家のそれより、むしろ保守的であるということである。ジャンリス夫人はその典型で、自分自身の行動様式においては、当時のジェンダー規範を超越しているものの、作品で理想とされる女性像は、19世紀ブルジョア社会が理想とした女性像にきわめて近く、男女の役割分担が強調されている。つまり彼女たちは、その時代の、あるいは来るべき時代のジェンダー規範を内面化していたために、自分自身の人生と著作における主張が乖離するという結果にいたったと考えられる。
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