今年度はまとめの年ということもあり、現在まで調査したことのまとめと、それらを総合したときに「科学啓蒙」ということが18世紀西欧において、啓蒙されるべき対象あるいは啓蒙する発信者の「性」というものを考慮にいれた場合、なにが見えてくるのかということを考察した。 一般的に18世紀の科学啓蒙と言う場合、その中心的課題は「科学理論そのものの普及」だけでなく「その普及により、科学的精神を公衆(ただし貧困階級は大抵除外されている)にいきわたらせ、教会勢力の力を弱体化する」という二つの目標が設定されていることが多い。もちろん宗教に関しては啓蒙する個々人の宗教観の差から、単に「迷信」のみを廃し、キリスト教そのものは擁護する科学啓蒙もあれば、あらゆる宗教を廃止したい科学啓蒙まで様々である。ただ、こういった啓蒙の集積したものがいわゆるディドロとダランベールの『百科全書』となって結晶したというのは疑いのない事実である。 さて、ここにジェンダーという視点を持ち込むとなにが起きるのか。まず発信者が男性で啓蒙の対象が女性である場合を考えると、上のような単純な図式にならないことがわかってくる。つまり、階級における矛盾(作者は「人類」といいつつ、その実貧困階級を無視しているといったこと)と同様、中産階級の男性と女性を同様にはみていないという問題である。彼らは対象が女性の場合は、より「自分たちが教えてやる」といった態度をとりがちであり、教えるべき科学レベルを低いものへと限定しがちである。また教会に対する態度にしても、男性に対するのと同じようにラディカルであることを女性に求めてはいない。 次に発信者が女性である場合はどういう傾向がみられるのか。ここではその女性の作品と実人生の両方を考慮する必要が出てくる。というのも、男性科学啓蒙家の上記のような態度はその社会のジェンダーの反映であり、女性たちはその束縛から完全にのがれることは困難だからである。本研究に調べた限りの女性たちにおいては、彼女たちが科学啓蒙にかかわるよう、になった事情はさまざまであるが、そこで当時のジェンダーのダイナミクスが大きく関係していることがわかった。そして啓蒙の中身については、上記の一般的特徴をそなえているものが多く、時には男性科学啓蒙家のジェンダー観に忠実に、非常に男女の差異を強調した女性科学啓蒙家も存在することがわかった。ただし、彼女たちの実人生は、その主張がどういうものであれ、たいていの場合当時のジェンダー規範に沿わないものであり、その主張の中身と彼女自身の行動は連動していないということも判明した。
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