本研究は、近代イギリスにおいてジェンダーの構築がどのようなセクシュアリティ観や女性同性愛に対する見方のもとで行われたかを、古代ギリシャの詩人サッポーやオウィデイウスの描いたサッポーに関する言説の受容、女性同性愛の言説の形成、 「サッポー」と呼ばれたイギリス女性詩人の詩的言説などを詳しく検証することによって、明らかにすることを目指した。 従来、性の欲望の認識や同性愛の概念は19世紀末のヨーロッパで初めて生れたと見なされていた。だが、本研究によって得られた知見によれば、18世紀後期にすでにサッポ一から派生した"Sapphism"や"SapPhist"などの語が現代と同じ意味で用いられ、サッポ一から綿々と続く女性同性愛の伝統も批判的に指摘されていた。その一方で、二人の女性がいくら親密でも、それは性的な同性愛ではなく、 「ロマンティックな友愛」という性的でない清い関係であると賞賛された。本研究の成果の一部として、報告書の第1章では、50年以上も同居したランゴーレンの貴婦人たちに関する相反する言説(「ロマンティックな友愛」と「サフィズム」)を分析し、ロマン主義時代に起こった新しいジェンダー観の台頭と女性のセクシュアリティに対する見方の変化の関係の一様相を明らかにした。第2章では、死後「サッポV」と呼ばれた18世紀末の女性詩人アンナ・シーワードの愛の言説を取り上げ、不在の愛する女性、失われた時間、失われた喜びを詠う点で、サッポーの同性愛詩の伝統の継承者であると論じた。第3章では、オウィディウス以来の伝統的な異性愛恋愛書簡文学の枠組みをとるシーワードの物語詩『ルイーザ』においても、異性間の恋愛や結婚よりも女性同士のロマンティックな友愛関係が重要視され、18世紀後期の異性愛社会と共存する女性同性愛のかたちが提出されていることを考察した。
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