本研究では、アメリカ文学でのNew Womanの表象を分析し、アメリカ女性をめぐるディスコースとして考察した。女性参政権運動にかかわるNew Womanの表象は、女性は男性によって規定されるというジェンダーに挑戦する、あるいはそれを維持しようとする者たちの間の政治的運動といえる。よってその表象は多様である。 例えば、Henry JamesのNew Womanに対する、ややあいまいな批判に対してConstance Fenimore Woolsonは、"In Sloane Street"で間接的に反論している。他にEdith WhartonはNew Womanをではなく、"femininity"に縛られ、破滅させられる女性主人公を描き、既存のジェンダーを批判している。Willa CatherやEllen Glasgowは農地と格闘するNew Womanを登場させ、男性作家であるSherwood AndersonやSinclair Lewisは、中西部の田舎町を舞台に、自己決定しようとする女性たちをNew Womanとして登場させている。 本研究ではまた、このNew Womanの表象によるディスコースが人種主義をめぐるディスコースであることを知見としてえられた。New Womanの定義の変遷を分析したところ、New Womanがはじめに登場した頃は、白人で大学教育を受け、女性参政権運動の支持者だされていたが、そのような表象に対抗する形で、それに該当しない階級、人種に属するNew Womanが表象され、定義も拡大されるようになったのである。その代表例が、Pauline Hopkins、Jessie Fausetたちアフリカ系アメリカ人作家によるNew Womanの表象で、女性の地位向上よりも、アフリカ系アメリカ人の地位向上を優先させ、True Womanhoodのchastityの観念が強いる、自分たちの非摘出性を否定する。それはまた自分たちの権利実現を最優先させる、白人のNew Womanを人種主義者だする批判なのである。Elizabeth Ammonsの研究にみられるように、男性と同等の権利をえるという、New Womanの主張は、彼らの侵略主義あるいは人種主義政策への参加をも意味し、これまでとはちがったエゴイズムをNew Womanに付加することになる。このようにNew Womanの表象の解釈は今後、もっと多様化することが予想される。
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