本年度は3年計画の2年目に当たり、昨年来続けてきた伝記的側面から見たキェルケゴールの女性論を、彼の宗教的著作との関連で見直すこととした。つまり、キェルケゴールのレギーネ関係は、彼の著作活動全体に影響を与えているが、特に彼の宗教性にどのように影響を与えているかを検討した。従来、キェルケゴールの宗教性は、「殉教のキリスト教」と呼ばれる峻厳な宗教性として理解されてきた。近年、『愛のわざ』を中心に、「認容のキリスト教」ともいうべき側面が注目され、神の愛への応答と神の恩寵への信頼がもう一つの柱として彼の宗教性を形成していることが定説となってきた。しかし、そうした神関係と、現実の隣人との関係において、必ずしも同じ種類の愛と認容があるとは首肯しがたい。 キェルケゴールは、レギーネとの間に対等の関係をもてなかった。その原因として、彼は女性を対等の人間として見ず、女性の宗教性を直接性のレベルとして男性より一段低いものとみなした。また真実にキリストに服従することは世に反することであるとみなした。 そのために彼の宗教性は、きわめて限定されたものになった。第一にそれは、対話的でない。相手に愛を前提するといわれるような、相手の主体性との相互交流を促すものではない。それはどこまでも自己意識の中にとどまる閉鎖的な宗教性となる。それは彼が自己を開示せずレギーネに対し沈黙して婚約破棄した内面性と通じるものである。こうした彼のレギーネ関係における閉鎖性や非相互性は、彼の内面性の二義性や非合理性を顕わにすると共に、彼の宗教性における単独者概念の問題性、宗教性における愛の概念の自己矛盾を示すものであることを明らかにした。 以上の研究を第52回日本基督教学会学術大会にて口頭発表した。この成果をもとに、平成17年6月、アメリカ、セントオラフ大学で行われる第5回国際キェルケゴール学会において英語による発表を行う予定である。
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