アリストテレスにおける存在論の集大成と言える『形而上学』中心巻全体の翻訳を完了させた。それと平行して執筆してきた四つの註解的論文を完成させた。そこでの彼の課題は第一の端的な存在である実体とは何であるかを明らかにすることを通じて、何が実体であるのか、とりわけプラトン主義者との共同の課題であった、可感的対象とは離存的な実体は存在するかの解明にむけての研究が遂行されている。そして「実体とは何であるか」の探究と「何が実体であるか」の探究は送り返しの関係にあり、実体による帰一的構造の解明を通じての存在の探究が深められていく。そのさい、できる限り中立的な視点から、何か例えばイデアを実体であると主張するためには、その存在者がいかなる条件を満たさねばならないかを、存在をめぐる言語使用の分析を通じて提示している。実体であることの規準は三つであり、(1)「この或るもの」、(2)離存性そして(3)基体である。(1)の指示表現「或るもの」には種が代入される。例えば「カリアスはこの人である」とは言えても、「カリアスはこの白である」は言えない。このように、指示は第一義に規定性を持つ実体に関わる。そして(1)を満たすものは、「カリアス」というひととして他のものから離れてあり(2)を満たす。(3)基体は「他のものの述語とならない」究極主語規準と言えるが、「カリアスは白い」という述定が一例となる。この言語的解明を受け、質料と形相また統合体がそれらを満たす存在者として吟味されることになる。これらは事物の一性を構成する因果論的構造の文脈において論じられる存在者である。諸素材としての質料を統一して一なる事物を形成する因果論的に基礎的な存在者は形相であるとされるが、それは事物それ自体として存在しているのか事物の何らかの部分なのかが論じられる。実体と属性、個と普遍、事物それ自体、さらには部分と全体等伝統的な形而上学の問題に鋭い議論が展開されていることが翻訳と註解的研究を通じて明らかになった。
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