カントの批判哲学と、彼と同時代に理性主義者としてドイツ哲学界に君臨していたハレ大学哲学教授ヨハン・アウグスト・エーベルハルトの哲学との対決を精確に見定めるためには、何よりもまず、『純粋理性批判』(1781年)に対抗して1788年にエーベルハルトが創刊した『哲学雑誌』(Philosophisches Magazin)第1巻(〜1789年)の4分冊に収められた諸論文のうち、カント自身が読んだ論文について、徹底した分析が必要である。 第1分冊第2号に収められた「人間の認識の制限について」という論文において、エーベルハルトは、ロックに始まり、ヒュームにおいて極まる懐疑主義、観念論の哲学に対して、カントの批判哲学を含むドイツのドグマ主義哲学がいかに有効であるかを概観するが、ここで彼の考える「ドグマ主義」の意味が明らかになり、ライプニッツの理性批判の優越性も主張される。第2分冊第2号の「人間の認識の論理的真理あるいは超越論的妥当性に関して」、および、第3分冊第1号の「人間の認識の論理的真理あるいは超越論的妥当性についての理論のさらなる適用」は、人間の認識の第一根本諸命題である「矛盾の命題」と「充足的根拠の命題」に焦点を絞って、純粋理性による認識が超越論的妥当性をもつことを本格的に証明したものであり、彼の理性主義的側面がよく分かる。 ただし彼は、いわゆる「知性的直観」を人間に認めているわけではなく、また第4分冊第1号の「人間の認識の起源に関して」から明らかなように、「空間」および「時間」のアプリオリテートや感性性を或る意味では肯定している。カントとの違いは、微妙でありながら決定的であり、「感性的でありながら純粋な直観」というカントの着想、「ア・プリオリ」を「経験に依存しない」と消極的に規定し、「理性的」と同一視しないことの哲学史的体系的意義も、この比較によって判明になる。
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