(1)昨年度シェリングを研究対象としたのを承けて、今年度はもっぱらフィヒテを研究対象とした。夏休みにいわゆる1794年の『知識学』精読した。その結果、(1)哲学史に必ずフィヒテはカントとヘーゲルを媒介したと記述されていることの実態を、あるていど把握することができた。(a)カントの、統覚と外感とのあいだに成立する自己実現論(これはわたし固有のカント把握)がどのようにフィヒテの「自我」と「非我」の対立の図式の基礎となっているか、を直接読み取ることができた。(b)それ以上に驚いたのは、「自我」と「非我」の絶対矛盾とも思える二者からいかに世界が成立するか、に関するフィヒテの執拗な議論が、ほとんどヘーゲル(の『精神現象学』)を貫く即自、対自・即かつ対自の弁証法のほとんど一歩手前の論理展開となっている点であった。この発見はわたしの研究にとって大きな意味をもつ収穫であった。(2)反面・研究課題に照らして、この文献だけからはフィヒテ哲学における価値ニヒリズムの問題性は、鮮明に捉えることができなかった。彼特有の論理構造からいって、「自我」が「非我」の一つたる「価値」を産出するはずだから、「自我」の「事行Tathandlung」にしか根拠をもたない「価値」というものの問題性を指摘できるはず、との仮説をもって臨んだが、この点はいま一つはっきりしなかった。今後の研究課題である。 (2)冬休みに仙台の東北学院大学に出張し、本研究課題における研究協力者である石川文康教授とこの間題で親しく議論した。上記の諸点について、概ね同感を得た。 (3)当初本年度にウィーン大学の海外研究協力者のフェッター教授に来日していただき、この課題に関連して東京・埼玉で講演をしていただく予定であったが、教授が多忙のため実現しなかった。ウィーン大学との交流は最終年度を期すことにしたい。
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