研究概要 |
1 まず,平成18年度は,前年度に引き続き,法哲学講義録の電子データ化を行った。第二回法哲学講義録(1818/19)について作業を完了し,現在第五回法哲学講義録(1822/23)について作業を進めている。 2 次に,法哲学講義録全体の検討から,承認論がイェーナ期特有のものではなく,体系期においてもヘーゲルは,国家の制度を支えるものとしての承認の行為に,一定の意義を認めていることを示した。 しかし,体系期における承認の意義はイェーナ期とは異なり一種アイロニカルな意味合いを帯びている。すなわち,後期体系においては承認がシステムの外部に退くことによって,かえってシステムを補強し,成り立たせているという様相を呈する。そのことはヘーゲル独自の自由観の考察を糸口として明らかになった。ヘーゲルはリベラリズム的な自由概念を超えて,「共同的・人倫的自由」ともいうべき自由を構想している。しかしこのような自由構想は,実は承認の場面が「法」の領域から退くことによって,換言すれば,法が常に既に「承認されていることAnerkanntsein」として外部から規定されるということによって,支えられているのである。 このような考察から,ヘーゲルが「自由の実現」として称揚した「生ける善」「生ける法」としての人倫は,法の外部に法とは区別され,法に先立つ「政治的なもの」を要求するのではないか,という新たな問いが生じてきた。さらに,このようなヘーゲルの内部における「法」と「法の外なるもの」との対立は,ヘーゲルの政治思想にとどまらず,西洋政治思想史のなかで長い系譜を持つのではないか,という見通しを持つに到ったが,これは既に本研究課題の範囲を超えており,新たに取り組むべき問題であるといえよう。
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