相対主義論に関しては、これまでの相対主義研究によって得られた観点を、道徳的・倫理的相対主義へと適用し、「寛容」の問題や「我々」というあり方について哲学的考察を継続した。「寛容」の問題については、主にB.ウィリアムズの議論を参照しつつ、「寛容/非寛容」をめぐるアポリアは相対主義の内的な論理構造とは無関係であることを確認し、「我々」というあり方については、R.ローティの「リベラルなエスノセントリズム」に現れる「我々」のあり方と、相対主義の純化によって現れる「我々」のあり方の比較考察を続けた。また、J.リアやB.ストラウドが論じている「消えゆく我々」というあり方と、相対主義の純化によって現れる「我々」のあり方との比較検討も進めた。 時間論に関しては、J.M.E.マクタガートやC.D.ブロードの議論を精査することによって、主に「未来」についての哲学的探究を行った。「過去化した未来」「無としての未来」「欠如としての未来」「無でさえない未来」どうしの関係と無関係について、その連鎖や再過去化や再欠如化の機構を論じることを経て、「未来」における「無関係」の問題が、時制よりはアスペクトの問題へと繋がっていることを明らかにした。 また、多くの時間論の研究者が『時間は実在するか』(講談杜現代新書)を批判的に検討する合評会に、著者として参加することによって、これまでの時間論の考察をさらに進展させる契機を得ることができた。さらに、日本科学哲学会のシンポジウム「時間のメタフィジクスーマクタガートのパラドクスをめぐって」に、提題者の一人として参加し、マクタガートの「時間における矛盾」を書き換える試みを提示して、「時間と矛盾」についての考察をさらに深めるアイデアを得ることができた。
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