時間論に関しては、主にJ.M.E.マクタガートの「時間の非実在性」論の検討を行い、通常の時制論者VS無時制論者の解釈枠組みを超えて、「時間における矛盾」の真相を炙り出した。すなわち、「矛盾」に対する三通りの書き換えを提示して、時間の推移の動陸と記述の固定の静性との相克、絶対的な現在と相対的な現在との短絡的な癒着、そして時間の推移の動性と絶対的な現在との相容れなさに、時間のリアリティをむしろ構成する「矛盾」を読み取った。また(マクタガート時間論の検討とは独立に)、「未来」論と「過去」論を「(無)関係性」のテーマのもとで考察し、「未来の<なさ>」と「過去の強い実在性」について独自の論を展開した。 相対主義論に関しては、古代ギリシャのソフィスト・プロタゴラスの「人間尺度説」の再検討を行い、そのあるべき姿を浮き彫りにした。その「姿」とは、「現れ」による真理空間の開設という第一段階、「現れ」という全体の局所化という第二段階、ソクラテス的な「各人」の段階、そして外側で働く「私たち」という段階を辿るプロセス全体のことに他ならない。この考察の結果、相対主義の射程の大きさを、各個人や類としての人間のレベルに固定することなくもっと拡大しうること、「私たち」という絶対域も「過去」「未来」という時間との断絶(無関係)によって相対化されうること等を示すことができた。 時間論と相対主義論の考察を通じて共通に浮かび上がってくるのは、「関係と無関係」という両項の緊張関係と隔絶の問題である。それは、過去・現在・未来という時間における「連続と断絶」の問題であると言ってもいいし、相対主義論において炙り出される「私たち」という領域の「絶対性と相対性」の問題であると言うこともできる。本研究は、これらの論点について、哲学的・倫理学的考察を僅かながらも加えることができた。
|