本研究は、大正・昭和初期に活動した土田杏村を、日本倫理思想史研究の立場から扱ったものである。 土田杏村は哲学史・倫理学史の領域で正当に評価されてたとはいえない。今日、倫理学や哲学が、現実との新たな関係を模索し、応用倫理学など、試行的に様々な試みがされていることを思うとき、つとにそうした場を作り出してきた哲学者として、土田をあらためて検討し評価することには大いに意義があると思われる。士田の仕事は、科学論、技術論、都市と農村の機能論、信用経済論、文化やファッションへの関心、恋愛・女性論、生涯教育の主張と実践、日本精神史の研究、国文学論、象徴論、マルクス主義への評価と批判、「日本支那」現代思想の論述など多岐にわたる。 本研究では、土田の多面的な仕事について、彼の「生活価値の哲学」という概念を、その結び目としてとらえ、その視点から全体像を2年間の期間のなかで、考察・解明することを目的とした。とくに彼の日本精神への関心を、単にその表面でとらえるのではなく、現象学や新カント派の哲学の吸収の中で、華厳のあらたな理解をふまえ、そこから日本の精神史、たとえば江戸期の富士谷御杖などの評価と解釈につうずることなどをあきらかにできたかと考える。 とくに日本倫理思想史の分野では、彼の社会哲学、人間哲学の根底に、自己と他者との関係をとらえる祖型ともいうべき、仏教哲学の理解があること、とくに華厳経の理解にしめされる自他の関係およびその総体としての共同性への深い洞察があることを示した。それは富士谷御杖の評価などに端的にあらわれるが、そこで示された共同性のとらえかたは、たとえば和辻哲郎のリジッドな共同性とは異なり、また近代の倫理学のなかでもきわめて特異でかつ意義ある社会哲学である。 それらを学会誌、また単著の中に成果としてあらわすことができた。
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