本年度は、伝統的な現象学的身体論が認知科学の成果を取り入れた現代の哲学的身体論に与えている影響を考慮しながら、認知科学における身体重視の傾向の哲学的根拠を探った。具体的には、メルロ=ポンティとフッサール、およびかれらの後継者たちの現象学的身体論や志向性の理論と身体が哲学上の主要な問題となる過程について考察し、認知科学における身体重視の傾向との異同について解明した。そのとき注目したのが『表象」という概念である。この概念を念頭におきつつ、デカルト以来の心身二元論と表象と外的世界との類似性の否定といった哲学的背景が認知科学に継承される過程と、それが認知科学の内部で否定される過程について明らかにした。前者は、換言すれば、デカルト的な図式が記号主義的認知科学に継承される過程である。また、後者の過程においては、認知における表象の否定と身体の重視という流れが交差していることがわかる。これはメルロ=ポンティの哲学における身体の主題化と意識哲学の否定という表裏一体となった出来事と多くの意味で類似したものである。さらに、身体の重視と心や志向性、意識といった人間の認知にとって本質的な役割を果たす概念とがどのように折り合いをつけるかということは哲学的な難問である。本年度の研究では、哲学と認知科学における身体の主題化と、それを通じて出てくるこの難問の性質を明らかにした。ここでは、身体や心を発達や発生という観点から理解することも重要になり、こうした基礎的考察は「身体のアルケオロジー」という本研究課題の遂行の一部となっている。
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