清代の知識人はその半数程度が游幕、すなわち地方官が任所に築く幕府に滞在し、幕主が企画する学術事業に従事することによって生計を維持した。つまり、幕府は学術活動の主要な舞台の一つであり、考証学を中心とする清代学術の発展を支える役割を果たしたと考えられる。 そこで、幕府を経営する幕主とそこで働く幕友による学術活動の実態、それに幕友が幕府を必要とした事情等について、幕府という単位で完成.された編纂物、および游幕に関する諸資料等に即して考察を加えた結果、以下の事柄が判明した。 (1)幕友は幕主が企画した学術事業の実務面を担った。その一方で、幕主は活動資金を提供し研究環境を整備することによって幕友の活動を支えた。幕府内で学術事業を実施することで得られた成果は幕主に帰属した。 (2)知識人の多くが目指すのは科挙試験を通じた官界進出であったが、合格率が次第に低下して行く中、長期にわたる受験生活を継続することは容易なことでなかった。游幕は不安定ではあったが、比較的高い収入が得られる仕事であり、幕友が幕主から受験指導を受けることもあるなど、科挙の受験を続けるには好適な条件が揃っていたため、その仕事を選択する知識人が多かった。 (3)幕友が游幕中に自身の研究を進めることは簡単ではなかったが、それを実現した幕友もおり、彼らは幕府内にあった学術情報を活用してすぐれた研究成果を生み出した。幕府にある学術情報には、幕主の蔵書、他の幕友による研究成果、幕主が他の知識人との交友を通して得た情報等があり、これらの多くは幕府外では入手が困難であった。そのため、游幕先を選ぶ際、幕主の蔵書の内容を問題にする知識人もいた。 研究期間内における以上の考察によって清代の幕府が持つ学術機能の一端が解明されたが、解明が進むことで新たな検討課題が次々と浮かび上がってきたので、今後、さらに考察を深める予定である。
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