研究概要 |
本研究の目的は徂徠学の地方藩儒への伝播とその変化、及び徂徠の説く理念的な経世論を地方藩儒が現実の藩政に活かすために、具体的にどの様に実践理論へと読み替えていったのか、また中国古典をどの様に再解釈していったのかを考察することである。本年は、その視点を荻生徂徠と水野元朗との往復書簡である『答問書』に置いた。庄内儒学及び藩学の淵源は『答問書』にあり、『答問書』の究明こそ、前述の課題を解決することになるからである。とりわけ、本研究は『答問書』の成立事情を中心に考察をした。 長年『答問書』は、全書簡35書簡総てが徂徠と元朗・進修との往復書簡であると信じられてきた、,しかし、1992年東京大学の平石直昭氏がこの定説に疑義を唱えてから、往復書簡説が揺るぎ出した。そこで本研究においては、この問題に決着を着けるため、従来、漠然としか調査が行われていなかった異本系統に的を絞り、平石氏が提議した問題を吟味することにした。特に、この点の課題解決のためには庄内所在の文献との照合を重視した。 その結果、『答問書』は第33信から第35信までは徂徠と元朗・進修の往復書簡、それ以外は宛先不明の書簡集との結論に至り、また、問者は元朗・進修の2名が定説になってきたが、元朗1人の可能性も出てきた。
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