インド大乗仏教瑜伽行唯識学派における解脱思想を、智と行の構造から解明するのが本研究の目的である。 1.先ず、無著の著『顕揚論』の体系的な智の構造の研究を総合的に行った。その結果、瑜伽行学派の聖教である「事」とその「淨義」を各修行階梯にそって修習する「成善巧品第三」〜「成瑜伽品第九」の7章(聖教の実践修学すなわち聖教の「成」を段階的に示す)に共通の智の構造(『顕揚論』における「智の基本構造」;「信解遍知」〜「成所作後智」の16種の智と2種の修行者(聲聞、菩薩)の智)の存在が明確になった。 2.この智の基本構造に従って、声聞・菩薩の両者とも名称を等しくする共通の修行階梯を歩み、世俗・勝義に関する智、善不善/有・無分別の智、成所作の三智の構造を等しくしていることを明らかにした。 3.しかし、智の基本構造に従った修習の結果には差異がある。その差異をもたらすのは、「三性説」の有無である。例えば人無我は声聞・菩薩が共通して体得するが、法無我は三性説を修習する菩薩のみが体得するとされる。 4.この差異の故に菩薩の道はまた「大乗」とも称されているのである。ただし菩薩は大乗と称されるが、『顕揚論』では声聞を「小乘」と蔑称することはない。それどころか声聞はまた「聖弟子」(arya-sravaka)とも云われる。『顕揚論』では菩薩と対比して時には声聞と云い、時には聖弟子とも称されるのである。 5.以上の考察の結果、『顕揚論』では声聞と菩薩とは、修行階梯を共有しそれぞれに固有の修習と証得を有しながら、おそらく同一の出家集団のなかで共存的に仏道実践に専念していたことを伝えていると理解されよう。
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