『現観荘厳論』第4章第4偈において四念処は「一切相智性の110行相」の一つとして説かれている。この「念処」はテーラヴァーダ仏教では「サティパッターナ」瞑想法として現在でも広く用いられている修行法である。そこで研究代表者は、四念処がどのように「現観」という瞑想法の一環たりうるのかを、実地調査することとし、日本で「サティパッターナ」瞑想法の指導をしている日本ヴィパッサナー瞑想センターの瞑想コースに、平成15年8月6日から8月17日まで参加した。 コースでの指導は次のようであった。最初の3日半で、コントロールすることなく自然な呼吸に意識を集中する。それも最初は大づかみに呼気と吸気に意識を向けるだけであるが、意識の場を徐々に狭め、ついには鼻孔のあたりの呼気と吸気の温度差という繊細な感覚にまで意識を鋭敏化する。残りの6日半は、その鋭敏化した意識を上下に移動させて、体の表面全体の感覚を感じ取ることが繰り返された。実際には、全身の感覚を感じ取ることは困難であるが、習熟するにしたがって、感じ取ることのできる場所が増えていった。と同時に、痛みや痒みなどという荒い感覚だけではなく、「振動」とでも呼びうるような感覚、さらには、それにともなう快感まで感じられる瞬間も現れた。そのころになると、「痛みや痒みを嫌い、快感をともなう微細な感覚を求めないように」という指示が与えられた。この指示によって、瞑想実践者の目的が、無常を理解し何事にも平静でいられる境地に達することであることを、再認識させられた。 以上の実地調査により、「念処」が何層にも重なったメタ認識を駆使する営みであることが判明した。瞑想におけるメタ認識の現実性を考慮に入れた結果、四念処が現観の対象の一つであると『現観荘厳論』において説かれるように、瞑想が瞑想の対象となりうることが現実に可能なことであることが確認された。
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