『現観荘厳論』第4章第4偈において四念住は「一切相智性の110行相」の一つとして説かれている。この「念住」はテーラヴァーダ仏教では現在でも広く用いられている修行法である。そこで研究代表者は、四念住がどのように「現観」という瞑想法の一環たりうるのかを、実地調査した。その結果、「念住」が何層にも重なったメタ認識を駆使する営みであることが判明した。そして、瞑想におけるメタ認識の現実性を考慮に入れた結果、四念住が現観の対象の一つであると『現観荘厳論』において説かれるように、瞑想そのものがが瞑想の対象となりうることが実践的に可能なことであることを確認した。 仏教に新たな実践体系が形成されるときに、伝統的修行道がどのように受け入れられ、その新たな体系にどのように組み入れられるのかを、『現観荘厳論』に説かれる四念住を中心に、『倶舎論』に説かれる有部の修行道と対照しつつ考察した。その結果、現観の修行者は十六行相を観察しながらも、そこにメタの観点から、無執着や大乗の優越性などをさらに加えることによって瞑想を進めることを確認した。そして、四念住を有部が四諦十六行相観の準備段階としているように、現観においても四念住を実践しなければならなかった蓋然性を確認した。 チベット撰述の複註における"don rnam"(対象行相)と"shes rnam"(認識行相)という概念を参考にして、『現観荘厳論』に説かれる実践の「現観」の対象である173行相の特徴を考察した。その結果、『現観荘厳論』の加行(=現観、瞑想)の構造を、対象としての三種の全知の認識のあり方と、実践主体としての加行時の菩薩の認識のあり方という対立で捉えることが可能であることを確認した。
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