研究概要 |
古代インドにおける仏教部派の本質を解明することにより,その部派仏教世界を苗床にして生じてきた大乗仏教の成立状況を明らかにするのが,本研究の目的である。研究の第一歩として,従来,典型的部派として扱われてきた南方分別説部(パーリ上座部)が,果たしていかなる意味での部派であったのかをあらためて問うことにした。最近数年間の内外における研究の結果,典型的上座仏教と思われていたパーリ上座部の諸資料の中に,大乗的要素が多数含まれていることが判明してきた。そのほとんどは,三蔵より後の,注釈文献時代の情報である。そしてさらには,そういったパーリ注釈文献と,有部アビダルマ文献の関連性も,指摘されるようになってきた。そこで本年は,有部アビダルマ文献,パーリ注釈文献,初期大乗文献の相互関係を解明するための基礎作業として,有部アビダルマ文献の要である「婆沙論」の内容調査を行った。具体的にいうなら,「婆沙論」に引用される論書の出所確定,および三本の「婆沙論」漢訳の比較研究である。従来,総合的研究がほとんどなされなかった「婆沙論」を,丸ごと一体として研究しようという企ての一貫である。その結果,「婆沙論」の議論がもとになって,それに先行する律や論書の文章が書き換えられるという,きわめて興味深い事実が判明した。これと同じ現象が,他のアビダルマ論書や,あるいは大乗経典にも見つかるなら,単に古い文献から新しい文献へ,という単純な構図ではなく,新しいアイデアが古い文献を変えていくという,別の発展形態が想定されることになる。そしてそのような動きは,大乗という新しい思想の発生にきわめて重要な作用を及ぼしたに違いない。詳細は不明ながら,パーリ注釈文献と有部アビダルマ論書のより深い調査が,大乗の起源を解明するための不可欠の作業であるという認識を持つようになってきた。この点を基に,更なる研究を進めていくことにする。
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