インド仏教において最も哲学性の高い部派であった説一切有部に伝わる論書『婆沙論』は、仏教文献中において最大にして最重要な本である。その中には単に哲学的議論だけでなく、仏教の発展を解明するための情報が大量に含まれているものと予想されるが、その余りに膨大な分量のせいで、従来、これを体系的に研究することは極めて困難であった。また、『婆沙論』とならんで、インド仏教史解明の最重要資料である律蔵もまた、その量の膨大さと、内容の複雑さのせいで、十分な研究はなされてこなかった。今回の三年間の研究においては、これら重要資料を、大乗仏教成立の基本資料として利用するために必要とされる基礎作業を行った。『婆沙論』の場合は、そこの引用される先行アビダルマ論書の文章および、引用経典、計約二千箇所をすべてピックアップし、さらに、引用される律蔵の文章をすべてについて、その出典を確定した。また、律蔵に関しては、その中でアランヤ住の比丘に関して言及される箇所をすべてピックアップし、そのひとつひとつに関して詳細に考察し、アランヤで生活する比丘が、決して僧団と無関係に存在する修行者ではなく、従来の部派僧団内部の比丘の一部であることを証明し、大乗仏教の起源の問題とアランヤ住比丘との関連性を明確化した。今後は、これらの情報をもとにして、部派仏教内部から大乗という新たな運動が生まれてくる過程を、一層明確にしていくつもりである。
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