本研究を通じて、近代のナショナリズムについての一定の理解に到達することができたのではないかと考えている。ナショナリズムの問題を、戦後日本文化論を題材に、日本文化論的な語りの問題として、さらには文化研究そのものが抱える問題として理論的に考察してきた。文化相対主義、あるいは多元文化主義への批判的視座の獲得とともに、ナショナリズムへの向き合い方を検討した。また、近年の靖国問題、あるいは「アジア」をめぐる議論を題材に、ナショナリズムの問題を考えてきた。時局論的な題材に拠りながら、相互のナショナリズムの摩擦を理論的に考察する地平を切り開くことを試みてきた。そこでは、「アジア」へと開かれたあるいは相互理解が可能な語り、とはどのような語りであるのかをナショナリズムを超える視角から追求した。 またこうした研究の中で、一貫して、戦後最高の思想家と称せられる、丸山真男のナショナルな思想についての議論も展開してきた。日本のナショナリズムを(ナショナリズム一般も同様だが)、排外的なものと健全なものとに分けて考える思考の危険性を、健全なナショナリストと目される丸山を題材に考察してきた。 またナショナリズムと「アジア」というテーマの結節点として、靖国問題を考えたことは、具体的な戦争の記憶・表象を記念館や碑等に基づいて考察することの必要性の認識を深めることになった。そうした認識の深まりが、個人の研究を超えて、『季刊日本思想史』での「「靖国」の問い方-戦後史再考」との特集に結実した。本研究を共同研究の場へと発展させた成果である。 江戸の自国意識とナショナリズム研究の有機的な連関について、理論化が足りずうまく機能しなかった点など反省もあるが、「アジア」とナショナリズムの問題を、戦争の記憶・表象に関わる問題として考察するという、本研究の発展的課題に行き着いたことは最も大きな成果であろう。
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