本研究で江戸中期の知的世界を風靡した荻生徂徠一門(〓園学派)の人的ネットワークを明らかにし、その知的結社の実態とその文化的・思想的意義を考察した。 彼らの知的活動は経学の研究のみに止まるものではなかった。〓園のメンバーは経典研究以上に詩文の創作に興じたり、音楽を奏でたり、サロン的雰囲気が漂う中でそれぞれが個性を伸張させていった。とりわけ彼らの音楽への関心は注目に値する。儒教は「礼」を中心とした教えというイメージが強いが、「楽」も「礼」と同様に君子たる者の学ぶべき教養の必須要件であった。〓園社中では音楽こそが人間の性情を養うものであるとの強い自覚のもと音楽が嗜まれたのである。太宰春台は朝鮮通信使との筆談で〓園社中では先王の音楽が盛んに演奏されていることを自慢げに語り、また独自の音楽論を展開している。 こうした〓園社中のサロン的雰囲気を伝える絵に『〓園諸彦会讌図』がある。作者は不明であるが、社中の人々の個性を見事に描き分け、かつまた社中のメンバーの人間関係を熟知している者の手になるものであることは間違いがない。この絵は写されて、管見に及んだだけでも7種類が確認される。これらの図像が示すように、〓園一門には個性豊かな人達が集い、経書や史書の会読、詩文の創作、楽器の演奏等々の知的文化的活動が繰り広げられたのである。まさしく〓園社中は『論語』の一節、「詩に興り、礼に立ち、楽に成る」(泰伯篇)を文字通り実践する知的共同体としてあったのである。 「詩」「礼」「楽」といった古典的教養を内面化した者を「君子」とする徂徠の主張と実践は、近代以降に作られた儒教に対する狭いイメージと何とかけ離れていることであろうか。
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