本研究は、ヨーロッパ移民によって大衆社会が形成されたラプラタ地域を対象に、早熟なモダニズムが出現しつつあった19世妃末から20世紀前半の社会文化現象を分析し、それがいいかなる文化的領有の諸相として析出されたかを明らかにするものである。 日本での資料収集が困難なことから、アルゼンチンのブエノスアイレス法学部及び文学部付属図書館、国立文書館で資料収集をおこなった。また、帰路、サンフランシスコとロサンジェルスに立ち寄り、ブエノスアイレスで入手できなかった資料の収集を行うとともに、支配的な文化と被支配的文化の抗争の諸相を理論的に分析しているバークレイ大学のアルフレド・アルテアガ準教授との意見交換を行った。アルテアガ準教授との意見交換のなかで、現代的視座から翻訳と文化的領有を考える重要性が指摘された。その成果として、本年度、2本の論文を発表した。 具体的な作業としては、本年は、主に精神病理学的=犯罪学的な眼差しの広がりを明らかにし、それが社会管理の技法としてどのように進展していったかといった点を中心に研究を行った。アルゼンチンはラテンアメリカで最初に犯罪学を取り入れた。アルゼンチンにおける犯罪学の進展過程をかんがえるうえでもっとも顕著なのは、初期の段階において、すでに社会監視と排除のための学的営為とその社会制度上の装置の形成か密接な連携をなしていた点である。国立刑務所内に創設されが犯罪学研究所は、犯罪者を対象とする諸学問間のネットワークの総体として構想された。研究所でシステム化された「犯罪因学」-「犯罪臨床学」-「犯罪治療学」という、相互に参照し協力しあう緊密な学問上のネットワークの体系が、<既往症>-<診断>-<予後>からなる医学モデルにその規範をとっている。こうした医学モデルを社会に応用する実験が、システマティックな学問機関としてひとつの場を与えられ、行政当局と社会的機能を分担しあいながらも、当局にたいして自律的な言説空間を構成しようとしていた点で、犯罪研究所はきわだっていた。1880年代に盛んに論じられた大衆論は、犯罪学の領域では、移民大衆を<良い移民>と<悪い移民>に弁別する必要性として表出したが、それが具体的な個体識別のテクノロジーとして結実したのは指紋押捺の義務化である。一般市民にたいする指紋押捺の義務が構想され、きわめて早い時期に実現されたのがブエノスアイレスであったことは、同時期の犯罪学的な言説の磁場の強度をかんがえれば少しも意外ではないといってよいだろう。
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