今年度は、昨年度に引き続き、今まであまり研究されず、資料が乏しかった高麗時代の弥勒像を調査することを第一の目標として活動した。 まず、2004年8月22日から30日には韓国忠清南道の巨大な石仏を中心に調査した。この調査により、4〜5メートルの大きさの丸彫像は、忠清南道を中心とした後百済の地域に比較的集中して存在するとできるとわかった。それらの中のいくつかは、見晴らしのよい斜面か、山の中にあり、階段状の伽藍を構成する。なかでも灌燭寺菩薩像とその影響によって制作されたと見られる大鳥寺菩薩像は、10メートル以上もある巨大さが特徴である。どちらも現在弥勒像として信仰されているが、制作当初から弥勒であったかどうかの確証はない。弥勒の造形の変遷を研究するうえで、両像の尊格の解明は重要であると考える。 灌燭寺像と大鳥寺像の図像的な特徴として、(1)二重の宝蓋をつけること、(2)如来のように通肩の衣を着けること、(3)丈高の宝冠をかぶること、(4)蓮華枝をもつこと、(5)巨大であること、の5点に集約できるとした。これらの特徴からは弥勒であると考えられる。 2005年2月14日から18日には、とくに上記(2)(3)(4)の特徴に注目して、主に大邸周辺の地域の麻崖仏などを調査した。いくつかの特徴は合致したが、詳細に観察したところ、今まで報告されていたこととは異なり、3つの特徴全てが備わった共通する図像とは言い難いとわかった。おそらく慶尚北道周辺では、新羅時代からの伝統を踏まえた別系統の造像活動があったのではないかと考えた。
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