統一新時代に入って激減した半跏思惟形の弥勒菩薩の造像は、高麗時代には、半跡思惟の形をとらない石造弥勒像の造像の盛行となった。今まであまり研究されていなかった高麗時代の石造弥勒を調査研究することにより、半跏思惟形の弥勒菩薩像の統一新羅時代以後の変遷と消滅について考える一助となると思われる。あわせて、高麗時代の造仏の様相の一端でも明らかにできると期待した。とくに、潅燭寺の石造菩薩立像は、高麗時代の仏像を代表するものであり、弥勒菩薩である可能性が高いので、本像を中心に調査研究、考察を進めた。 まず、潅燭寺像の特色を巨大であること、二重の宝蓋をのせること、高冠をかぶること、蓮華枝をもつこと、通肩の衣を着ることとして、同様な特徴を持つ像を調査した。その結果、巨大であること、二重宝蓋、通肩衣などは、弥勒としての性格を表わし、高冠、蓮華枝などは、地域性を色濃く表わすと結論し、論文として発表した。 さらに、潅燭寺像が地中から湧き出た石に仏像を彫ったと伝えられるように、霊性をもつ石や岩から化現するように造られた仏像がある。そのような例を韓国、日本に求め、万治の石仏を実地踏査した。これは、高麗時代の石仏と直接関係を見出せないが、高麗時代以降民間信仰として盛んであった石仏と造像の意図としては同様であったと考えられる。 以上のような成果をまとめ、また、高麗時代の造仏の特徴についての考察を加え、科学研究費補助金による調査研究の報告書を作成した。
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