本研究は次の5つのステップを踏んで行ってきた。(I)史料の総合的探索、(II)収集史料の読解および分析、(III)史料のヴォキャブラリーおよびイディオム分析、(IV)文献資料と絵画作品の相関関係、(V)基礎理論研究。 4年計画の3年めである平成17年度には、上記の(III)と(IV)を集中的に行った。具体的には、最初の2年で、雪舟の中国での仕事に焦点を合わせて行った研究を踏まえつつ、今回はとくに、その雪舟の寧波での仕事について、(III)(IV)の視点からの検討を行った。中心的に取り上げたのは、史料としては後年になってからのものではあるが、中国渡航時代の雪舟についての興味深い関連記事を多く含む、堺の海会寺の住持、季弘大叔の日記『蔗軒日録』である。 雪舟の寧波での仕事に直接触れた個所は、『蔗軒日録』の文明18年3月14日の記事である。退役した寧波の大官人・金〓の家で、雪舟の描いた商山四皓、虎渓三笑の二幅対が壁に掛けてあるのを見てきたという、禅僧にして貿易商でもある金子西なる人物の話を、『日録』が書きとめている。今回の研究では、その記事を中心にしつつ、日本の堺から、中国江南の寧波の都市文化を人びとがどう見ていたか、その中で雪舟のことをどう位置づけることができるかを、『日録』の全体の中から検討してみるという作業を行った。 その場合、(III)のヴォキャブラリーとイディオムであるが、二つのキーワードが中心として浮かび上がってきた。「文化的威信」と「経済的流通」の二つである。文人の金〓の家に雪舟の絵があったことの根底に、日本からの渡航僧・雪舟の威信をかけた仕事のあり方が窺える。と同時に、雪舟の中国での仕事にはそれとも違う二面性があり、「経済的流通」すなわち東シナ海貿易での経済活動を前提にしてはじめて理解できる、「国々人物図巻」や「寧波府絵図」などがある。今年の研究としては、『蔗軒日録』という史料から浮かび上がる、それら二つのキーワードに照らして、さらに(IV)として、そうした二面性を持つ雪舟の渡航中の作品の新たな位置づけをも試みた。 以上の研究成果については、『蔗軒日録』に見られる寧波の都市文化関連のヴォキャブラリーの索引を作成したものを、データベースとしてhpに公開する予定である。さらに平成17年度中に、この研究で得た知見に基づき、論文5編を発表した(別項参照)。
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