今年度は、絵画のモダニズム的改新が、スティーグリッツサークルを介して、スティーグリッツの写真活動にどのように反映したか、それとともにスティーグリッツの写真観にどのような変化が生じたのかを検討した。一方、スティーグリッツならびに、スティーグリッツのサークルが、アーモリーショー前後に、アメリカのアヴァンギャルド形成にどのような役割を果たしていたのかを検討した。 (1)ドイツ滞在期に関わる研究がさらに進展しつつあるので、この方面の文献を追加的に検討した。特に、音楽に対するスティーグリッツの関わりを視野に入れておく必要が明確になった。 (2)スティーグリッツは、当初加担したこのピクトリアリズムと徐々に断絶していく。このプロセスは、絵画であれば、抽象への展開と読み取る事ができるが、写真の場合は参照項としての「外部」から離脱する事ができない。ここに発生する葛藤とスティーグリッツがどのように格闘したかをまず、『カメラ・ノーツ』期から、『カメラ・ワーク』にいたる時期について検討した。単純なピクトリアリズム肯定から、モダニズム絵画の動向を咀嚼しつつおこなわれた、第2次ピクトリアリズム(=フォーマリズムへの傾斜)の段階で、「反=写真的なもの」を写真とどのように共存させるかが大きな課題として浮上してきた事が明らかとなった。 (3)(2)の問題の解決がスティーグリッツにおいてどのように行われたのかを、『雲の連作』さらにEquivalentsさらにはヌード作品にいたるまでの作品解析を通し検討し、スティーグリッツが初期の段階から繰り返し言及するLifeの概念と写真のモダニズム的な志向の調停内容を、生の哲学あるいはベルグソンの影響などと共に検討した。 (4)アーモリーショウ前のスティーグリッツの活動は、NY在住の他のモダニズム・プロモーターというべきコレクターなどと連携しつつも、集団化した行動にまでは発展しなかった実相を明らかにした。
|