アルフレッド・スティーグリッツの写真観の展開とアメリカンアヴァンギャルドの形成へのその関わり方を解明することが、本研究の課題である。彼の写真観は、ドイツ留学期以来、<LIFE>をいわば真実在とするロマン主義的な芸術観と自然主義的リアリズムの間を揺れ動きつつ、最終的に<LIFE>を写真映像に実現するロマン主義的な写真観に帰着した。この間、彼は写真を絵画コードに準拠して追求した。即ち、『カメラ・ノーツ』期までは、リアリズム的な写真映像を追求しつつも、絵画コードに規定されたピクトリアリズムを推進し、絵画が抽象へと展開すると、この動向を察知していた彼のサークルの批評家・写真家に刺激されっつ、これに応じた抽象的形態に力点をおいた写真映像へと進む。しかし、スティーグリッツは、新たなサークルのメンバーを介して絵画の側が抽象の徹底化と再現を放棄する方向へ進むことを知って、写真映像が再現性のために絵画の展開に直接的に相関することの困難性を自覚せざるをえなくなる。ところが、「芸術」観そのものが根本的な変動を遂げていることを、デュシャンとの親交を介してすら十分に自覚していなかった彼は、再現性と抽象性を共在させるために、カメラを有機化されたメディアとして<LIFE>の表現可能性を担保し、Equivalentsに認められるように、絵画コードの抽象への展開も保存して、とりあえず写真映像の芸術への回収行為を完了させた。写真の芸術への回収行為が、ヨーロッパにおける絵画動向と不可分のものであったことが、アーモリーショウに至る初期のアメリカにおけるアヴァンギャルドを推進し、また291の閉鎖後展開されたアメリカ的な、表現主義的且つロマン主義的な抽象性の推進は、それと通底あるいは対峙するものを結果的に賦活したのであり、抽象表現主義への道を開いたとも言えるのである。
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